第六回お話し:『実現しなかった第一回対話』、その原因(敬省略)
韓国側の申請者「慰安婦の声」は当初は対話に積極的でした。寧ろ「日本軍の規律」が「対話に消極的」で、「韓国側の申請を邪魔している」と、そのHPで宣伝していました。
ところが「日本軍の規律」が2022年5月に「申請団の代表者が存在する対話」と「一年以内の結論」を提案した事で立場は逆転し始めました。「規律」は対話に対して逃げない積極的な姿勢に転じました。ユネスコはその姿勢を歓迎し、11月16日に対話の条件と第一回対話日:翌年2月28日を提示しました。「規律」は12月8日にそのユネスコの提案を受諾しました。しかしユネスコは12月19日に2月28日は出来ない・延期すると連絡して来ました。
ユネスコが対話日‐2月28日を提示し、「規律」がその日を受諾しても対話が成立しなかった、「声」が対話の条件に同意しなかった事は明らかでした。同意しなかった条件は、当時は推測でしたが、現時点では断言できます、「申請団の代表者が存在する対話」と「一年以内の結論」が同意できなかった点で、特に「代表者」でした。
「声」は二十もの団体で構成され、登録が確認できる団体は4つのみで、残る16団体‐幽霊団体と言える各団体は、有効な委任状を発行できませんから、代表を選出できません。真っ当でない幽霊団体が登録を申請できるのが、ユネスコの世界記憶遺産登録制度なのです。こんないい加減な制度が放置されていました。
その後「声」が何とかこの「代表」での束縛から逃れようとユネスコと交渉したでしょう。2023年7月になって漸くユネスコは新たな対話条件を提示しました。それは「声」が2022年12月に対話を拒否してから7ヶ月も経ってからでした。その新たな対話条件での「代表」とは、構成団体から委任されていない、つまり名目だけの代表でした。おそらくユネスコが有効な代表を出せない「声」側に粘られて妥協したのであろう案でした。「一年以内の結論」もそうで、二点を骨抜きにした条件でした。第一回対話の提案から逃げた「声」は、「兎に角対話をやった事にする」(結論は出さないか胡麻化すか、自身のメンツを保つ)方針に変わりました。「声」は対話から逃げ出しました。攻勢一本だった「慰安婦性奴隷派」が初めての守勢になったのでした。
彼等が守勢になった始まりは、この第一回対話を拒否した2022年12月でした。2021年1月にラムザイヤー論文が発表されて「性奴隷説」を否定した事と軌を一にする出来事でした。
この「声」の対話拒否から新たな対話条件が提示された七ヶ月間(2022年12月~翌年7月まで)に、「規律」内で騒動がありました。次回はその「代表の選出」意見を封じる為にユネスコまでも巻き込んだ「規律」内での恥ずかしいその騒動を述べます。