ユネスコ世界記憶遺産  「慰安婦」の登録 第五回

第五回お話し『代表が出席した対話』での「代表」が重要である理由(敬省略)

ユネスコでの慰安婦は性奴隷であったと主張する韓国グループ「慰安婦の声」との対話は、双方が代表を出す事と対話を開始してから一年以内に「対話の結論を出す」基本方針で臨むことに、「日本軍の規律」は決定しました。その決定は2022年1‐2月であったと推測します。そしてその対話の代表には細谷が決まり、各参加団体は細谷への委任状を提出する事に決定しました。日本再生会、メデイア政策研究所(小山和伸代表)は提出し(2022年12月4日)、加瀬先生は口頭でいつでも出す事を言明していましたので、残るは「なでしこアクション」だけでした。山本は再三の口頭とメールでの催促にもかかわらず、求めた委任状のテンプレートを受領したにも関わらず、2022年2月から今に至るも出しませんでしたし、出さない理由の説明も釈明もありませんでした。

何れにせよユネスコが2021年12月17日に提示した対話の条件に対しての「日本軍の規律」の回答は、この2点を基本として回答する事になりました。この2つの条件は、曖昧な対話或いは延々も続くかもしれない対話を防ぐ目的でした。いい加減な議事録を捏造されたり、資金力で勝る相手にパリでの延々と続く会議によって生じる無駄な時間と資金の消耗戦を防ぐ事が目的でした。

ところがその回答をユネスコ窓口の山本はユネスコへ回答しませんでした。20222年3-4月頃の会議だったと記憶しますが、「回答しないで大丈夫か」と訊かれた山本は、ユネスコから催告が来ないから(回答をしていない)(ユネスコは急いでいない、大丈夫だろう)、と答えました。                    ユネスコから問い合わせが来てから五ヶ月も回答しない事は失礼だし、場合によっては「日本軍の規律」の登録申請が「やる気なし」と看做されて失格になり、韓国側の申請がそのまま登録される事を皆が恐れました。それで細谷が英文回答案を作る事になり、その回答文を渡しても山本はユネスコに回答しませんでした。

この様な事態が緊迫しているとの山本以外の細谷他の認識は的中していました。5月4日にユネスコは回答を督促するメールを山本に発信しました。が、その緊急性が極めて高い重要なメールを山本は五日後の9日早朝の05時21分に皆に転送しました。そのユネスコのメールは5ヶ月経っても回答がない事に不満を(静かな怒りを)表していました。細谷は他のメンバーに諮りその回答案の承認を得て、又山本の言い分を聞いてその回答しない理由に合理性がない事を確認して、山本も反対できませんでしたから(承認は最後までしなかった)、6時間後の5月9日11時26分に細谷は山本に替わってユネスコへ回答しました。その回答したメールのコピーは山本他メンバー全員に同時に配信しました。

そのメールから八日後の5月17日にユネスコから、細谷と山本にメールが入りました。そのユネスコのメールは細谷が出したメールの直後に山本が無断で出した「細谷のメールは全員の了承を得ていない、正式な回答は(山本が)別途行う」とあるメールを添付して、山本からの回答はないし、細谷と山本どちらのメールが正式なのか?との問い合わせでした。

ここで初めて山本が細谷にも他メンバーにも断りなく黙って勝手に嘘の内容のメールを、細谷が回答してから二時間半後に送っていた事が判明しました。その判明は山本が送ってから8日も後でした。もしもユネスコが「どちらが正式か?」と問い合わせしなければ、「日本軍の規律」は回答なし、で申請が無効になり、韓国側の申請だけが認められる事になったでしょう。

細谷は山本を含めメンバー全員にメールで、細谷の回答を正式とする事、山本は間違ったメールを出した事をユネスコへ発信する取り纏め案を諮り、その承認を得て、ユネスコへ回答して事なきを得ました。

一週間後の5月23日に山本はメールで、ユネスコ窓口の辞任とその任務を細谷に委譲する旨を全員に表明し、細谷が承けて、交代が決定しました。細谷が或いは他の同士が山本に辞任を求めたのではなく、山本は自ら辞任を申し出ました。細谷は5月23日に、ユネスコの登録窓口担当者が山本から細谷に替わる事、それを山本が承知している事を連絡し、ユネスコは交代を認めました。

山本が自ら辞任を申し出、その申し出を他メンバーは非難もせずに黙って受け容れて、交代は為されました。経緯を日付順に纏めます:

(以下山本のメールはそのアドレスから出されたから、メールは山本「本人が出した」と推定する。)

2021年12月17日 ユネスコは対話の条件案を提示し、その見解を「日本軍の規           律」に求めた

2022年3-4月 山本はユネスコの問い合わせに関しては催促ない、急いで回答する必要はないと皆に表明

(5月4日 ユネスコは早く回答する様に山本に催促、但しこのユネスコの怒りのメールを山本は9日に加瀬・目良・小山・細谷に配信)

5月9日05時21分 山本がユネスコの5月4日付け督促メールをメンバーに発信。 事態の重大性から細谷が皆の了承を得て(山本も反対せず)山本に替わって回答(11時26分)。

直後二時間半後に山本はその細谷の回答を全否定するメールをユネスコへ発信(13時56分)

5月17日 ユネスコより細谷と山本どちらが正式な回答か?と問い合わせ ⇒細谷の回答が正式と回答

5月23日 山本はユネスコ窓口の辞任と細谷が代わる希望を表明⇒「日本軍の規律」全員承認

事態が緊迫していた中でユネスコのメールを5日間も放置し、更に(他の同士に連絡せず)無断で勝手に同士に黙って、それだけは極めて手早く、事実とは異なった情報を国際社会のそれもユネスコと言う公的国際機関に発信した山本でした。加瀬先生も小山も目良も、全員が、山本はユネスコへの回答に怠慢で妨害した事実を、場合によっては「日本軍の規律」の申請が失効になる危険にあった事態を共有し、山本抜きで対処しました。山本が弁解する余地は全くなく、ですから山本から弁解の言葉がなかったのは当然としても、加瀬先生他の同士への謝罪の言葉も、ユネスコへのお詫びの言葉も、全くなかった事は当然ではなく、異常でした。この為に、2016年から5年以上も「日本軍の規律」ユネスコ窓口であった山本を慰留する声はありませんでした。

次回は、代表の選出を嫌がった「慰安婦の声」側の第一回対話を拒否した事情を記します。

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