サンフランシスコ市の慰安婦記念碑設置問題についての報告
2015年10月20日
歴史の真実を求める世界連合会 (GAHT) 代表 目良浩一
1.慰安婦碑設置決議の最初の提案
サンフランシスコ市が今年の7月21日に市議会で、慰安婦の記念碑を建てることを推進する(Urging the Establishment of a Memorial for “Comfort Women”)提案がなされるという情報を知ったのは、恐らくその一週間くらい前、同市に住む日本人からの連絡があり、助力を依頼された時からであった。ロスアンジェルス在住の同志に声をかけて、反対声明をするために市議会に出席することを提案した。反対する理由は、いつもと同じである。韓国や中国が主張する慰安婦説は、歴史の真実を伝えていないことが最初で、この記念碑は、日本の軍隊が残酷で、非人道的であるという印象を人々に与えるので、日本国および日本人の名誉を不当に傷つけるからである。しかも、多人種が協調して住まなければいけない米国の社会において、特定の人種を名指して非難することは、地域内の住民間の融合を妨げるので、当然なされるべきことではないと考えるのである。
この時点で知りえたことは、この提案は、総勢11人の市議会議員のうちの8人が、提案者になっていたことであり、この提案は、委員会での審議なしに本会議に提出されるので、全員一致の賛成を得なければ、採択されないということであった。提案者は、中国系のエリック・マー議員で、他の中国系の議員一人と韓国系議員二人が提案者に含まれていた。ここで注目すべきことは、提案者が韓国系ではなく、中国系であることである。サンフランシスコは、中国系の人口構成比率が2割程度と高く、彼らが、市議会で強い影響力を持っているようである。
2.我々の対応
同志に働きかけた結果、6人がロスアンジェルスから出かけていくことになった。午後2時に会議が始まるので、その前に、情報を提供してくれた方と市庁舎内で会い、他の反対声明予定者とも言葉を交わした。会議場内に入ると、聴衆はそれほど多くはなく、40人程度であった。他の議案があったので、慰安婦記念碑についての意見の発表は4時ころからになった。一人3分の時間が与えられて、希望者34人が発言した。市の事務局によるとこの件についての賛成者が15人で、反対意見を述べたのが、9人であった。他の発言者は別件につて陳述した。
ここで、提案者は、戦略を変えてきた。議員全体の賛成票は取れないと考えて、その場での採決を諦めて、委員会に審議を託し、そこで採決されたのちに、本会議に提出して、多数決で採択するという方針である。そこで、選ばれたのが、エリック・マー氏が議長を行っている「公共の安全と近隣サービス(Public Safety and Neighborhood Services)」委員会であった。この委員会は他に二人の議員が構成員となっているが、その3人は皆、8人の提案者に入っている議員であった。
3.9月17日の委員会決議
この7月の経験からして、提案者側は、慎重に準備をし始めたようである。8月は市議会は休暇のようで、「環境と近隣委員会」の開催は、9月であるという情報が流れてきた。更に、提案者側は、著名な元慰安婦、イ・ヨンス、を韓国から招いて証言させるという情報も流れてきた。一方、日本側は、サンフランシスコの姉妹都市である大阪市の市長、橋下徹、が反対の意思を表明した公開書簡を発信することが伝えられた。我々も、反対の意見を市議会に提出した。なでしこアクションも、日本の方々に、反対意見を送るように伝え、多数の反対意見や多くの方の署名が送られた。17日までに市に提出された反対署名は4411名に達した。
9月17日の数日前には、市議会事務所から当日の会議資料が一般公開された。各種の人々から送られてきた書類は、460ページ程になっていた。その中には、橋下徹大阪市長の書簡も、小山エミ氏の反対者に対する中傷文書も、私が送った慰安婦問題の国際政治的な意味合いを述べた文書も含まれていた。一方、市議会議員の見解は、ある筋によると7月の反対意見や、橋下氏の書簡などで、8人の提案者の一部が、迷っているとの情報も出てきた。しかし、決議を通すには6名の議員の賛成があれば充分である。決議を阻止するためには、3名の議員を翻意させなくてはならない。しかも、提案者以外の議員がすべて反対票を投じると仮定してのことである。その頃には、色々な情報が飛び交った。「歴史問題を出すべきではない。コミュニティーの分断を問題とすべきである。」、「ある議員が態度を検討中である。ある種の情報を流すべきである」などある。しかし、どの情報もその情報源を確定することが出来ない。17日寸前には、この件について詳細に報道してきた地元紙のサンフランシスコ・エグザミナーが、11人の議員のうち7名が提案を支持していると報道した。承認は確実だと考えられる。
そこで、私のとった作戦は、提案者側にとって、最大の打撃を与えることにした。すなわち、その日の主要な発言者であるイ・ヨンスの発言の信憑性を疑うことである。既に彼女の発言に関しては、学術書に詳細に分析されている。その一つが、サンフランシスコ州立大学の人類学教授、C. サラ・ソー氏の慰安婦(The Comfort Women)と称する著書である。そこには、少女イ・ヨンスは、自ら進んで魅力的と思われる職を斡旋している者のところに行ったと書いてあるのである(p.98)。この点を公聴会で指摘することによって、この決議においては、成功しないかもしれないが、多くの人に現在の慰安婦問題がいかに歴史的な事実に違反している運動であるかを知らせることができると考えたのである。すなわち、長期的な視点からの戦略である。
当日、市庁舎に行き、議場に入った。本会議が行われたのと同じ部屋である。約二か月の準備期間があったのでかなりのサンフランシスコに住む日本人の参加が見られた。日本人女性でアメリカ人と結婚した人の中には、夫同伴で来て、御主人も反対意見を述べると述べている人もかなりいた。しかし、反対の声明をすると言っていた日本人の中には、「ことを荒立てないようにしてください。」という人もいた。一方、提案者側は、ユニフォームを用意していた。黒地に黄色で大きな蝶の図案を入れたTシャツを着用していた。聴衆の数は7月の時よりもかなり多い。出入りがあるので正確な数はつかみにくいが、100人程度であった。
午後2時に議事は開始された。議長のマー氏が長々と提案理由を述べ始めた。彼は、提案者であるから、議長をするべきではないのに、それには構わずに、長々と演説をする。中国系、韓国系に加えて、日系もこの提案に賛同しているという趣旨である。そこで気づいたことは、サンフランシスコにおける慰安婦碑設置の動きは、ロス近郊のグレンデール市における慰安婦像設置運動の延長であったことである。そこで主役であったKAFC のフィリス・キムがイ・ヨンスの介護役兼通訳として動き回り、グレンデールでも賛成演説をした日系のキャシー・マサオカも、主要な役割を与えられていた。
マー氏の趣旨説明の後に、元判事であったジュリー・タングが強烈に日本を批判し、元慰安婦のイ・ヨンスの発表があった。各自2分が与えられた時間であるはずであるのに、彼女は通訳つきではあるが、8分以上話した。勿論、慰安婦として苦痛を耐えてきたので、それを記念して慰安婦碑を建てることは、世界の平和に貢献することになるとの趣旨である。彼女の発言が終わると拍手喝采があった。イ氏は、それに対して頭の上に蝶の形を作って答礼をした。このような議事においては、拍手は禁じられるべきであるが、議長は何らの制止もしなかった。其れから、議長は中国系の人を数人招いて、賛成意見を述べさせた。
その後に、一般の人たちが意見を述べた。意見表明希望者は、前もってカードに記入して提出しておいたのであるが、マー議長が慎重に順番を決めながら、発表者の名前を呼んだ。10人目位に抗日世界連合会の執行副総裁のイグナシウス・ディンが発言した。彼は、安倍総理が4月にボストンを訪れた時に、「日本が戦時中に人身売買をしたことを認めた」と発言し、したがって、慰安婦碑を建てる事は、正当であると主張した。安倍総理としては、彼の発言は、日本国がしたとは言っていない。一般論として、人身売買があったことには、心が痛むと発言したのであると主張したのであろうが、一国の総理がそのような発言をした場合には、誰も一般論とは取らずに、日本国が犯したと解釈するのである。総理の発言を、彼は巧みに利用したのである。
それから数人後に、今村照美氏が発言した。地域社会の調和を阻害するような記念碑は建てるべきではなく、日本と韓国との間の紛争をこのアメリカの都市に持ち込む理由は全くないという趣旨の強烈な発言で、拍手がわいてきたが、議長は素早くそれを制止した。次が私の番であった。まず私は、通常言われている慰安婦の説が虚偽であることを述べた。すなわち、20万人は虚偽、強制連行は虚偽、性奴隷は虚偽と述べ、その一つとして、「今日ここで発言された元慰安婦の方は、以前の陳述では異なったことを述べています。」として、サラ・ソー教授の著書の中にある部分をわかりやすい形で引用した。マー議長は、「貴方は彼女がウソをついていると言っているのか」と私の発言を中断して、尋ねてきた。私は、「続けさせてください。」と答えた。マー氏は、「イ氏は、そんなことは言っていない。」と私の発言内容に介入してきた。私は「私は、彼女の発言を繰り返すつもりはありません。私は、この図書に書かれていることを述べているのです。この本を読んで下さい。」と答えて、引用を完了した。聴衆からは抑えられたブーイングと拍手が交錯した。その直後に、私の陳述の翻訳をフィリス・キムから聞いたイ氏が怒りの声を上げた。意味は解らないが、明らかに私を罵倒している言葉であった。議長のマー氏はそれを制止することはなかった。その後、二人の人が、サラ・ソー教授の本に記述されているイ氏の陳述と彼女のその日の陳述の相違について指摘をした。
3時間半くらいに亘る一般市民の発言のうち、46人が賛成意見を述べ、27人が反対意見を述べたと市の公式記録に書かれている。賛成意見を述べた人の多くは、蝶の模様のTシャツを着用した人で、前述のディン氏もそれを着用していた。賛成者の中には、日本名を名乗る日系人も含まれていて、中韓日の共同戦線を印象付けた。賛成の理由は、慰安婦は非人道的な扱いを受けた人たちで、これらの人を記念する碑を作ることによって、将来そのようなことが繰り返されないようになるとするもので、平和のための記念碑であると唱えていた。反対者の意見は、記念碑で日本だけを非難するのは不当であるとするものや、日本を非難することによって、コミュニティーを分断するのは好ましくないとするものから、いわゆる慰安婦説は虚偽であるとするものなど、いくつかの種類があった。
一般の聴衆からの発言を終わらせてから、議員が発言することになった時に、カンポス議員が行った発言は民主的な議事運営に反する極めて無礼な行為であった。彼は、イ氏の発言に対して疑問をはさんだ人たちに対して、怒りの声を上げた。「真実を否定する人は、恥を知れ」と四回叫んだのである。ここで「真実」とは、彼の信じる「真実」で、サラ・ソー教授が記述していることは、真実とは解されていないのである。公聴会とは、外部の人の意見を聞くための会合であり、たまたま、外部の者が彼に好ましくない意見を述べたと言って、発言者を「恥を知れ」と罵倒するのは、議会制民主主義のもとに行われる議事進行の原則に明らかに反する行為である。議長は、直ちにそれを制止して、彼を場外に退出させるべきであったが、カンポス議員は、マー議長を支援したのであるから、議長は制止もせずに、話したいだけ話させた。話した後に、カンポス議員は、イ氏がいるところまで歩いていき、抱擁して、頬にキスをして、「非難されてかわいそうである」と述べたのである。
その後に、投票があり、3人の議員は、提案に賛成の意思表示をし、可決された。
しかし、この日の会議について言えることは、以下のことである。
1)中韓側は、この日のために相当の準備をしていた。イ・ヨンスを韓国から招き、黒字に黄色の蝶の図案が入った制服を調達し、発表について相当の準備をし、支持を表明する人のそれぞれに何について話すべきかを用意し、英語が話せなくとも賛成意見を述べる人を多数用意していた。
2)議事の進行は明らかに、支持者に有利なように行われた。議長は、支持者には時間の制約を寛大にし、反対者には極めて厳しく制約を実施した。賛成者に対する拍手などは大目に見て、反対者に対するときには、厳しく制限した。しかも、反対者に対しては、私の場合の様に、発言を途中で制止することもあった。上に述べたように、議長は、イ氏の罵倒も制止せず、カンポス議員の異常な言動にも何の制止も行わなかった。
3)在サンフランシスコ日本総領事館からは、誰も会議に出席していなかった。領事館から情報提供のために出席を依頼されて出てきた人もなかった様である。この件については、同市に駐在している日本の通信社の人に確認している。
4.9月22日の本会議決議
委員会で承認されたこの決議案は、翌週22日の本会議に提出された。本会議では、かなりの反対意見が17日の公聴会で出されたことに鑑み、修正案が三回提出された。最初の二回の修正案は、原提案が専ら70年以上前の日本軍の悪行だけを責めるようになっているので、片手落ちであると考えられるので、現在の社会における人身売買と関連付けて、その社会的な意義を強調するものであり、第三の修正案は、戦時中の女性の人権の蹂躙は他の国においても行われていたことを認めるものであった。しかし、「そのことでもって、日本の犯した罪が軽減されるものではない」とする文言が付け加えられたのであるから日本に対する譴責は、依然として厳然として残ったのである。このような修正を経て、全員一致で承認された。したがって、反対派の意見によって、決議案は修正されたが、日本及び日本人の名誉を侵害する決議であることは、間違いない。
5.日本人反対運動者の感想
この慰安婦碑設置案に反対してきた人々に、22日の市の決定の後に意見を聞いてみた。次のような意見があった。
1)日本政府も日本総領事館も何の手助けもしてくれない。相手は、中国共産党を背後に持つ抗日世界連合会である。とても、個人個人の反対では、なんともしようの無い大きな力である。日本政府が出てきて来れば、何とか勝負になるかもしれないが、それがなければ、なんともならない。これ以上運動することは、無駄であると感じる。
2)サンフランシスコ市は、中国系の人口が多く、日本人は極めて少数である。しかも、この町は中国やメキシコのギャングが根を張っている。彼らは、法を無視して、悪事を働く。彼らは、金で動くので、中国系の組織に狙われたら、身に危険が迫る。殺人請負などは、通常のビジネスなので、これ以上に中国系の組織に反発することは、控えたい。
3)9月17日の公聴会で、カンポス議員やマー議員に罵られたことに、激しい怒りを感じている。他の人たちと一緒に、カンポス議員に謝罪を要求する手紙を書いたが、彼は返事を書いてよこして、謝罪する気は毛頭ないと言ってきた。何とかして、彼らに仕返しをしたいと考えている。しかし、具体的な方法が分からない。何とか研究して、彼らに謝罪させたい。
GAHT が依頼している弁護士によると、委員会におけるマー議員やカンポス議員の行動は、市の設定した議会の規則に抵触する可能性が高く、早急に裁判所に訴えれば、裁判所が17日の決定を暫定的に保留する可能性がある。そうなれば、反対派の勢力が元気づいて、最終決定に大きな影響を与える事が可能になるかもしれないと述べている。しかし、そのためには、サンフランシスコ在住の人が原告になる必要がある。しかし、日本政府が及び腰であることと、市民が法によって守られていない現在の状態の下では、原告になる者が出てくるとは思われない。泣き寝入りになる可能性が高い。
6.サンフランシスコ日本総領事館の対応と報告
私は9月末から10月初旬にかけて東京に講演するために行った。そこで、色々な方と意見を交換するうちに、以下のような情報を得た。在サンフランシスコ日本総領事館は、市議会で慰安婦碑を設置する案が認められた件について、以下のような説明を政府乃至自民党幹部に伝えた模様である。
「この件については総領事館としては、各種の人々に呼びかけをして、市議会で五分五分の線までもっていったのですが、公聴会で目良浩一氏を始め在米日本人が元慰安婦を個人攻撃するような発言をしたので、議員たちの心証を害してしまい、議員全員が賛成の方に回り、議案が承認されることになりました。」
この発言は、本当であったとしたら重大である。失敗は、在米日本人のせいであるとして、総領事館がその時までに作り上げてきた議案阻止の努力を台無しにしてしまったというのである。ここには、数多くの欺瞞がある。本当に議会が開かれた時には、五分五分の状況であったのか。本当に、総領事館の努力で、五分五分の状況にまでもっていったのであるか。もしも、在米邦人が、おとなしく地域社会の融和を強調していたら、議案は、否決されていたのか。そして、一番の問題点は、此の解説は自らの失敗を隠蔽するための隠れ蓑ではないかということである。自らの失敗を隠すために、在米邦人の言動を責めるのである。もしこのような報告がされたとすれば、在米邦人は、味方の銃弾に打たれたのである。現場の知識の無い人は、この説明に納得するかもしれない。総領事館は、誰も現場に人を送っていないのである。現場にいた我々は、この議事はすべて厳密に計画された儀式であったと感じている。50人余の蝶の模様の入ったTシャツを着た人々。すべて計画通りに、意見を表明した提案の支持者たち、計画通りに支持者に優しく運んだ議事進行。カンポス議員の熱狂的な提案への支持。どれをとっても、あの議会は、出来上がっていた議事であったと思わざるを得ない。それにもかかわらず、そのような、自己正当化の説明をするのは、真実に反するのみならず、日本の名誉を自らの努力によって、守ろうとする愛国者を無残にも射殺する売国奴なのである。
そこで10月16日に、サンフランシスコに行ったおり在サンフランシスコ日本総領事館を訪れて、市岡晃領事と早川瑞穂領事に会見をした。午前10時20分から11時5分の約45分であった。慰安婦問題は主に早川領事の管轄と見えて、質問に答えたのは、ほとんど早川領事であった。最初の質問は、この慰安婦碑案が市議会に出てきたことに対して、どんな対策を実施しましたかと尋ねたところ、「色々な方と話し合いました」との答えで、どんな方々ですかと尋ねると、「具体的にどなたであるというようなことは、申し上げられません」との回答である。では、どのようにして、議案の承認を防止しようとなさったのですかと尋ねると、「具体的なことは、申し上げられません」と全く防衛線が堅い。
そこで、肝心のことを尋ねる。「東京で数日前に聞いたのですが、総領事館は、この件について各種の努力をして、五分五分の線まで持って行ったのですが、在米日本人が、イ・ヨンス氏の個人攻撃をしたので、議員たちの心証を害した。よってそれまで迷っていた議員も賛成票を投じることになった、というように在サンフランシスコ日本総領事館は自民党の稲田朋美政調会長に報告した、とある筋から聞きましたが、本当でしょうか。」と尋ねたところ、早川領事は、「ニューアンスが違って伝わっています。」との回答を得た。それではどのようなご報告をなされたのですかと尋ねると、「内容については申し上げられません。」との回答である。「でも何らかのご報告をされたのですね。」と更に尋ねると、「その質問に関しては、否定も肯定も致しません。」 との答えが返ってきた。そこで、私は、「では、そのような報告をされたことを否定しないのですね」と念を押した。早川領事は、それに対しても同じ答えをした、「その質問に関しては、否定も肯定も致しません。」そこで、私は、早川領事に、ではこの件に関しては、早川領事は「否定しなかった。」と外部に伝えますと申し上げた。
7.今後の運動への教訓
この慰安婦碑設置の問題は、いくつかの大きな意味合いを持っている。
1)第一に、この記念碑運動は、中国系が主導する米国で初めての運動で、今までのような韓国系と異なり、大きな力が背後にあることが実感される。具体的には、中国共産党の直接的な支援があると感じられるので、個々人が対応できる問題ではないと思われる。
2)サンフランシスコにおけるこの運動は、中国が米国に進出する足場を作る最初の手がかりであると思われる。ここで成功すれば、次には、米国内の他の大都市にも進出する。米国連邦政府は、この危険性について未だに認識が無いように思える。
3)日本政府は、在外公館から来る情報を丸々信用しては、ならない。あらゆる情報を総合して、状況を判断すべきである。在外公館は、現場に出ていないし、身勝手な情報しか発信しない。
4)日本政府は、慰安婦問題がすでに外交問題・国際問題になってしまっていることを率直に認めて、対処の方針を決める必要がある。これは単に韓国との問題ではなく、中国も絡んだ重大な問題である。ユネスコにおいても、中韓の共同提案で慰安婦の記憶遺産提案がされるであろうと想定されるから、早急に対策を練る必要がある。対処策を取らないということは、現在の慰安婦の問題の様に、彼らのなすがままになることで、そうすれば、日本は野蛮な、残忍な国で、日本の国の子孫代々が、不当な濡れ衣によって悩まされることになる。また、友好的な関係を維持してきた米国との関係も悪化せざるを得ない。
5)安倍政権は、外交においては、日本としては、珍しく、多数の国々と緊密な関係を作り、成功していると言えるが、中韓との関係に関しては、それなりの努力をしていない。緊急に、具体策を構築して、対応していくことが課題である。
8.結論
アメリカに滞在している日本人の中には、日本人の名誉を保つために、かなりの努力をして中国や韓国系の人々による慰安婦記念碑の設置運動に抵抗しているが、最近では、中国系の大きな組織が表に出てきて、大都市においてこの運動を展開しようとしている。このような運動を、個々の在米日本人が阻止するのは極めて困難である。ことは、20世紀及び今後の日本人の名誉にかかわることであるので、日本政府が今までのような傍観的な態度を改めて、積極的な対抗策を展開していくことが必要不可欠である。この問題は、既に明らかに外交問題になっているので、率直にその重要性を認めて、外交問題として対処すべきである。
上記詳細はPDFでダウンロード出来るようにしています。
10-20-15_SFO総括報告.pdf